帽子とノスタルジックなアジア雑貨のお店 ドーナッツトーキング
帽子の仕事をちょこちょここなし、
お世話になった人たちに挨拶に伺い、
えべっさんにもようお参りをし、
家人相手に盛大にけんかをふっかけ
(まぁたいがい相手にしてくれない)
勝手に疲れて熱をだし、
あぁ旅に出たいと寝床で夢想してたら
一週間くらい簡単に過ぎてしまいました。
「自分の日常がいかにもろく儚いものか」ということを
不幸な出来事や災害に重ねあわせて
「それに比べてありがたい、しあわせだ、それを感謝しないといけない」
というのは、わたしはすきではありません。
まぁわたしがすきであろうと無かろうと、
世の中に色んなできごとや矛盾は湧き立ち
それらの大きさを比べようとする流れは存在するんやろうなぁと思います。
ただ「わたしはしあわせだ。それを感謝したい。」と思うときが
多くの人にいっぱい訪れたらええのになぁ
と今朝思いました。
違いは違いとして認め(認められ)、
じぶんが見えてる世界で色んなひとのよき隣人になる、
なりたいというんは
身の程しらずの野望でしょうか。
「時間はかかるかもしらへんけど、できるかも。」
とめずらしく楽観的に思った朝でした。
doughnut talking
PR
この記事にコメントする